がん闘病記と日々雑感

~右往左往の備忘録~

⑤<2016年から2017年へ>除夜の鐘を聞きながら願掛けをする。

<2017年が始まった>

初詣は混雑する元日を避け、二日に行った。長々とお祈りした後、おみくじをひく。だが、怖くて開くことが出来ない。凶だったらどうしよう。夫に頼んで開けてもらう。小吉だった。そして「病」の項目には「治る」とあった! 治るって!治るって!と繰り返しながら、2人とも涙ぐんだ。
 
ところで、私の好きだったもので12/4以来、受けつけなくなっていたものにコーヒーとビールがある。どちらも体に悪いからやめようと思ったわけではなく、全く飲む気がなくなったのだ。特にコーヒーは意外だった。毎朝、コーヒーがないと1日がスタートしないと思っていたくらい習慣化していて、若い頃から大好きだった。コーヒーは昔は悪者だったが、実は体に悪くないと見直されたもの。コーヒー好きだった私は、とかく嗜好品は悪者になりやすいことに反発を覚えていたので、見直しに溜飲を下げた。だが飲めない。私にとっては良くないものだったのだろう。また、病気になると嗜好品については我慢しなくてはならないのかと思っていたが、我慢など必要なく自然に取れなくなるものと分かった。体の反応は正直で偉大だ。
 
J医院での精密検査に通いながら、私たちは治療に向けての準備を淡々と行った。例えば浴室暖房機の設置。寒い季節には重宝すると分かってはいたが、今まで延ばし延ばしにしてきたもの。それから空気清浄機。年末の大掃除は体の辛さからパス(業者さんに頼もうよと夫には言われたが、それでも結局あれやこれやと指示はしなければならず、体が耐えられそうになかった)したが、エアコンのクリーニングをプロに依頼した。空気清浄機もエアコンも、治療中は少しでも良い環境にすることが大事という情報を見たからだ。
 

<1月11日 精密検査結果と治療方針が出る日>

最後の検査が診察前にあった。胸部超音波で、なぜか鎖骨のあたりを念入りに見る。技師に聞くと「気になる塊があるのです」と言う。その話を待合室で待っていた夫に話す。夫はその時点で、ステージ4を覚悟したと、あとで聞いた。が、その時の私は、毎日の検査の忙しさと痛み、空腹で疲れ切っていて、深くは考えなかった。
 
診察の予約は午後3時だったが、呼ばれたのは7時過ぎ。待合室の固い椅子の上で、かなり気持ちも萎えてきていた。
 
診察室に入る。K先生はモニターを睨んでいる。そして私に検査の画像を見せた。
K先生は「ここが腫瘍の部分ですが、胃の入り口付近まであって、特にこの辺りが大きくて…」などと言いながら画像を示す。
私「ステージいくつですか?」
K先生「3、ですね。リンパまで浸潤しているので」
私「3のいくつですか?」
K先生「bかcというところでしょう」
 
ステージ4を覚悟していたという夫と違い、私は何となく、ステージ2と言われて安堵するという自分を想像していた。全く意味のないポジティブシンキング。その思いは簡単に打ち砕かれた。
 
しばらくの沈黙後、
K先生「でも手術できますよ。私がします。」と私を安心させるように言った。
続けて「食道を全摘する手術です。治りますよ。」と言った。
夫が5年生存率を聞くと、「60%ぐらいかな」と答えた。
 
ステージ3の5年生存率は約30%である。だが、それは約10年前に疾患した人が5年以上生存したかどうかの数字であって、その間に医療技術の向上があるし、病院ごとの差もあるだろう。そして体の状態の差もある。
K先生の60%という答えは、私の気持ちを慮って数字を盛っているのか、それとも自分が執刀すればその位は行くという自信からなのかは図りかねた。
その空気を察して
夫「それは先生が執刀すれば60%という意味ですか?」
K先生「はい。それにカオルコさんは若くて体力もあるから。」と答えた。
 
その後、手術の説明になった。治療はベッドが空き次第すぐにスタートすると言う。
K先生「来週の半ば頃かな。最初に抗がん剤治療をして、その後手術になります。食道を全摘して胃と繋げます。手術は楽なものではないけれど治りますよ。」
夫「それは開胸ですか?それとも腹腔鏡ですか?」
K先生「この大きさだと腹腔鏡は危険だと思いますので、開胸をお勧めします。食道全摘手術は合併症が心配されますが、うちでは殆どありません。あとね、後遺症がね、あります。少しずつしか食べられなくなります。3回の食事を5回に分けて食べることになる。それと量をきちんと取ってもどうしても痩せてしまうんですよね。」
私「痩せる?」
K先生「はい。食道に栄養を摂る機能があるわけじゃないんだけど、なぜか全摘するとそうなる。本質的な原因は分からないんだけどね。」
夫「放射線治療という選択肢はないのですか?」
K先生「まあ、放射線よりも手術の方が良いと思いますよ。」
先生は労わるような表情で最後にそう言ったが、理由は言わなかった。
 

<詳細説明>

その後、助手先生の部屋に移動。20代前半に見える若い先生だが、慣れている様子を醸し出している。私を安心させるためかな?と、最初は好意的に受け取った。
 
まずは様々な同意書に次々とサインしていく。抗がん剤は3種類。やり方は鎖骨部分から点滴を入れるドレージュというもの。副作用を聞くと、吐き気、倦怠感、脱毛など。
助手先生「人それぞれだから確定的なことは言えないけれど、大丈夫です。なにが起きても良いように入院するわけで、その都度すぐに対処します。」
なるほど、と思う。辛そうではあるが、何があっても大丈夫そうだ。
ただ、副作用について聞いているうちに、気持ちがどんどん重くなっていく。
 
抗がん剤は2コースで2週間ずつ。つまり都合4週間でその後手術になる。手術は胸、脇腹、鎖骨の下の3箇所にメスを入れる。そこから食道を全摘後、胃に直接繋げる。
手術は6~8時間、その後1週間は絶飲食で無菌室。そして一般病棟に移動し3週間。抗がん剤の入院と合わせると2ヶ月になる。頭の中で差額ベット代(個室の場合)×60日を計算。200万円以上だ。個室なんかに入っている場合じゃないな、と思った。
管に繋がれての1週間、団体部屋での3週間。副作用、痛み... もう想像するのはやめよう。時間がたてばなくなることなんだから。
 
そして手術後のこと。
切除した痛みは1年もすれば良くなるとのこと。が、後遺症として痩せてしまう、というK先生の言葉が気になっていた。
私「頑張って食べても痩せてしまうんですか?」
助手先生「ダンピング症状というものがあるんです。無理して食べると貧血や下痢をしてしまうので、かえって痩せます」
私「頑張りようがないと…それは一生治らないことなんですか」
助手先生「はい。一生続きます。ですが、皆さん3年位で慣れると言ってますよ。多い人だと今の体重の70%位になります。でも、まあ、いいじゃないですか。痩せるんだから」
思わず彼の顔を見つめた。
痩せるからいい? まるで効率的なダイエットのような言い方だ。簡単に70%と言うが、私の元の体重を基準に計算しても33キロ。当時の体重を基準にすると28キロになる。痩せて喜ぶような体重ではない。そんな重要なことを、「何を気にしてるの?」というような態度で言われ、私はカチンときた。
 
私が絶句していると、
夫が「T病院で手術と放射線治療では同じ位の成績と聞いたんですが、どう思いますか?」と聞いた。
助手先生「手術の方が良いと思いますよ。放射線をやって、その後再発したら、結局手術ということになりますし、放射線あてると組織が固くなり、手術しづらくなるんですよ」
夫「手術して再発したら?」
助手先生「その場合、次の手段として放射線が使えます。だから最初に手術できるならした方がいいですよ」と、 いかにもそれが常識という感じで言った。
 
診察や詳細説明が終わると9時を過ぎていた。時間外の暗いフロアで精算と薬の受取を済ますと、重い足取りで病院を出た。そして号泣した。告知も不安な日々も、ここまで泣くことはなかった。私はしゃっくりを上げながら、初めて大泣きした。
 
副作用や手術の辛さは一時的なもので、耐えるしかないと覚悟できた。だが、それを乗り越えても、それまで通りの生き方には戻れない。人生をガンに支配された気がした。そうなって改めて、私は私の人生が好きだったし満足していた、と思った。
 
泣き叫ぶ私に、ガン発覚以来初めて、夫がきつい口調で言った。「いいじゃないか、そんなこと。とにかく治して欲しい。これで治るんだから、頑張ろうよ」
夫の気持ちは理解できた。治すことが第1プライオリティ。頭では理解出来ても、心が追いつかなかった。