がん闘病記と日々雑感

~右往左往の備忘録~

⑦<治療へ>2017年1月13日~1月19日

それから治療スタートの日まで、私はずっとハイだった。弟や友人に連絡し、ステージ3Cだけれども、化学放射線で治療し元の生活に戻ることができる!とペラペラ言いまくった。泣いてくれる友人もいた。嬉しくて一緒に泣いた。友人の1人は、ちょっと遠回りしたけど結果的に良かったね、もし治療で辛いことがあっても手術してたらもっと、、、って思えるでしょ?と言った。これは確かにそうだった。ストレートに治療に入っていたら辛いだけの毎日だろう。この頃は嬉しくて浮かれていたが、事実、私は予後が良くないと言われる食道ガンのステージ3Cで、これから治療が始まるのだ。冷静に考えると、何も良いことなどない。ただ、第1提案よりも第2提案の方が私にとっては良かった、というだけだ。
 
その頃母から電話があった。治療方針が決まったタイミングで弟が母に伝えたのだ。治るということと、ステージ2と誤魔化して話したらしい。
母は開口一番「カオルコ…なんで?  身内にガンはいないのに」と言った。
それまでに私は遺伝性は5%と知っていたので、ガン家系なとどいうものはないと分かっていた。
それを言うと、母は「じゃあ、なんで? なんでガンになったの?」と聞いた。
私は「分からないよ、そんなことは誰にも」と答えた。
母「健康診断はしてなかったの?」
私「してたよ。9月に人間ドック行った。その時は何も見つからなかったよ」
母「(ため息)まったく…なんでこんなことに。」
私は責められた気がした。何だか悲しかった。そして逆に、母を励ますように「でも治るから。大丈夫だよ」と言った。
 
ところでJ医院にはK先生宛に手紙を書き、転院の報告とした。紹介状発行を早急に行ってくれたことに対する感謝とセカンドオピニオンの内容を書き、K先生の提案はベストなものであったと思うが私はQOLを優先したいので云々と、謝罪とともに書いて送った。
 
週明け、PET CTの結果を持ってT大病院に行く。放射線照射の計画を作るためCTを撮る。水曜日から一泊入院で抗がん剤と放射線照射の同時スタートと告げられる。
Y先生が「あ、ところでウチで受けるということで良いんですよね?」と思い出したように言った。私は思わず笑いながら「はい、お願いします」と答えた。
 
改めて病状説明・治療方法・有害反応の説明がある。途中から助手先生に代わり説明が続く。全部で2時間ほどかかった。
 
その後会計に移動。待ち時間が40分以上と表示されている。まとめて支払う方法はないのか聞いてみた。毎日通うのに、毎回40分以上会計で待つのは堪らない。するとあっさり「あります」と言う。月ごとにまとめて月末に払う方法があると言う。「ぜひその方法で!」と依頼し、手続き後に帰宅。
 
その後は入院準備。だが一泊なので大した準備はいらない。年末にパジャマやソックスなど入院に必要なものを買い揃えていたのだが、無駄になった。
 

<1月18日 治療スタート>

入院日。まだハイな状態は続いていた。入院手続きのあと、部屋に入ろうとすると、まだ準備が出来てないという。先に放射線科に向かった。初めての放射線治療。上半身裸でタオルを巻きCTのような台に乗る。腕を頭の上に伸ばし、そこにある取手を掴む。頭をはめ込むように入れる。その後、計画書を確認しながら照射位置に筆で十字を書く。特殊なインクでしばらく落ちないという。十字は胸の真ん中と脇に入れられた。これが2月末の放射線治療終了までずっと入っていることになる。

 
技師に動かないように言われ、1人になると、機械が動き出した。私の周りをぐるぐると機械が回る。鼻が痒くなったりクシャミをしたくなったりしたら嫌だなぁと思いながらじっと我慢。時間としては五分ぐらいだった。
 
これをこれから毎日、週に5回、28回やるのだ。時間は午前10:50にした。
その後、入院病棟に戻ると部屋が用意されていた。昼食後、点滴を始めるという。荷ほどきをしてしばらく待っていると昼食がきたのだが、見て驚いた。喉の詰まりで食事が出来ないことを伝えてあったのに、五分粥としっかりしたオカズが来たのだ。それまで食べていたのは三分粥にゆかりやイクラをかけたものと、具のない味噌汁だった。でも食べないともたない。五分粥を恐る恐る食べてみる。ゆっくり噛めば大丈夫そうだ。それとオカズを少し。久しぶりに食べる固形物。怖くてひと口でやめた。夫に今夜来る時にゆかりを持って来てとLINEする。
 
全くお腹が満たされないまま、点滴の時間になってしまった。看護婦さんから説明を受ける。まずは1間、吐き気どめの薬を投与。その後抗がん剤のネダプラチンを2間。そして整理水を6時間投与するとのことだった。すぐに吐き気どめをスタート。抗がん剤の副作用である吐き気をあらかじめ止めてしまうというもの。案の定、途中でお腹が空いてきた。とても夕飯まで持ちそうにない。すると看護婦さんが院内のコンビニでプリンを買ってきてくれた。その後抗がん剤の時間になると、助手の医師が現れた。医師立会のもと、看護婦さんがガサガサと防護服を身につけた。顔には透明のシールド。聞くと、それがルールだという。後で知ったのだが、抗がん剤に触れると危険なのだそうだ。触れるぐらいで危険な液体をカラダに入れるのかと、ぞっとした。2時間ほどで危険物注入が済むと整理水に替える。なんとなくほっとした。
 
7時に夫がふりかけと玉子豆腐を持ってきた。私は夕飯の最中だったのだが、味のない五分粥だけでは耐えられず、オカズを恐る恐る食べていた。そしてゆっくりたくさん噛んで食べれば何でも食べれることに気づく。1ヶ月半も固形物をほとんど口にしていなかった私は、その発見がとても嬉しく、またなんでも食べる私を夫が驚いて見ていた。夫も嬉しかっただろうと思う。夕飯は何と完食。それから色々食べたいものを羅列した。焼き魚、野菜炒め、生姜焼き、ケーキ… 当時の血液検査結果を見ると、明らかに栄養不足。1ヶ月半、ロクに食べてこなかったから、食べたいものが次々と浮かんだ。
 
治療初日はもともと気分がハイだったこともあるが、副作用もまだなく、全てが良い方向に行く感じがして、ハッピーな1日だった。
とにかくスタートできた、ということで安心感があったのだと思う。
 
次の日、朝食を取っていると、放射線科から若い女性の医師が病室に来た。A先生という初めて会う医師だ。
放射性肺炎の治験に参加してほしいという。説明を聞き、負担の少ない治験なので了承する。同時に、これで主治医が2人になったことになる。
 
2回目の放射線照射を受け、帰宅。1日だけだが、家に帰ってほっとする。手術案を選んでいたら入院は延べ2ヶ月だったわけで、改めて放射線案にして良かったと思った。
 
ところで治療内容をまとめると、放射線は月~金の週5回、毎日10:50から受ける。全28回。照射の合計は50.4Gy。
抗がん剤は、ネダプラチン(プラチナ系)という点滴を4週間に1度ずつ。計4回。
それとTS-1という経口の抗がん剤を朝夕2回服用。2週間服用後、2週間休み。それを4回繰り返す。
放射線が1/18から2/24まで。抗がん剤は1/18から4/25まで。
この期間、絶対に風邪やケガなどしないように気をつけようと決意する。
 
ネダプラチンの点滴は全部で4回受けることになるが、なぜか受けた当日はカラダがスッキリし元気になる感じがした。翌日から副作用が始まるのだが、少なくとも初日だけは気分が良くなった。